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臓器移植法改正

2009.04.22 22:12|読書
世界保健機関(WHO)が、
海外渡航による移植の自粛を促す新指針を5月に決める見通しとなったことを受けて、
臓器移植法改正に関する国会審議が本格的に始まることになりました。

焦点は14歳以下の子どもの臓器提供を認めるかどうか。
日本では禁止されているため、
海外に渡航して手術に臨む子どもたちが相次いでいる現実があります。

これは、移植のための臓器を海外に求める日本人の姿を描いたフィクションです。
そしてドナーは・・・

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梁 石日

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日本では昔から、
「7歳までは神のうち」といいました。

乳幼児死亡率が高かった時代の慰めごとかもしれません。
でも、その言葉には、
何びとたりとも幼子を自己の所有物として扱ってはいけないという、
日本人の深淵な知恵がうかがえます。

自分の子どもが、移植を受けなければあとわずかしかない命で、
国内にドナーが見つからないとしたら?
・・・
私は、それもその子の「そなわり」だと思いたい。

私が今思っていることと、
実際に子どもの命が消えかかった瞬間に思うこととは違うかもしれません。

でも、死というものが抗い難い大自然だとすれば、
人の力で征服できると思うのは西洋の考えかたであって、
それがスタンダードとはいえないのではないか。

畏れのなかに八百万の神を見るのが日本人の姿のような気がします。



テーマ:気になったニュース
ジャンル:ニュース

タグ:臓器移植

Comment

おくりびとと臓器移植

実は「おくりびと」が海外で評価された理由が
そのまま日本でドナーがなかなか現れない理由では?
という気がしています。
外国では遺体に対して日本ほどの宗教心を抱かないから
遺体を切り刻んで臓器を取り出して他人にあげてしまえるけど
遺体そのものを儀式の対象として尊重する日本では
(「おくりびと」に描かれたのはまさにそれでしょう)
遺体を切り刻むなんて故人に申し訳ないという心境になり
遺体の中の臓器は大切な人の一部であり
赤の他人に簡単にあげてしまえるものではない。
ましてや火葬して骨になるまでは故人の姿がそこにあり
可能ならそのまま残したいのが日本の遺族の気持ちです。
幼い子供を亡くした親であれば
遺体に未練のような思いを抱くのは無理からぬ頃でしょう。
その違いを無視して
西洋では子供のドナーがすぐに見つかるのにと
言っても無意味と思うのです。
解剖用の献体だって心理的に抵抗する遺族もいるのです。
こうなると、亡くなった人の遺体に
きちんとした葬送儀式をしたい遺族の宗教心と
今生きている人を助けたい家族の願いと
どっちが大事なのか?という
永遠に答えの出ない問題にぶつかる気がします。

法改正がなされても

幼児なら故人の意思で提供することはできないのですから、
親権者だった人(遺族)の判断に委ねることになるのでしょう。
親権の濫用を防ぐための制度も検討されているようです。

でも、ふつうの親は武ほーぷさんのおっしゃるようなことを思うでしょう。
大人以上に、
国内でドナーを確保するのは困難なことが予見されます。

それと、私なら術後のQOLのことも考えれば、
移植しないという選択肢も十分ありえます。
そんな親は「子どもを見殺しにする親」になってしまうのでしょうか?

不妊治療が一般的になれば、
治療を受けないという選択肢を選びにくくなる。
それと同じように、
「できること」は「しなければならないこと」になってしまうのが怖いです。

NO TITLE

交通事故でなくなった霊は、
手や足が折れた状態とかで血を流した姿で現われることがあります。

肉体が骨折や流血しているなら、わかるのですが、
壁を通り抜けるような霊がなぜ、骨折や流血を…ということが不思議です。


おそらくは、霊のからだが、
肉体を遠く離れるにはある程度、時間がかかるということがあって、

事故で損傷した自分の肉体を見てショックを受けてしまう、
それもあまりにもショックだった場合には、時には
自分が怪我しているという印象が強くなって、
霊体に怪我の状態が表現されてしまうのではないか、

そして、無いはずの肉体とともに、
無いはずの怪我、そして無いはずの痛みがともなって 
「痛い 痛い 痛い・・・」と なるのではないかと 思ったりします。

私など、迫真の夢の中で叩かれると痛かったりします(笑)

おどろおどろしい話しを書き連ねてなにが言いたいかというと
 臓器を提供される人は、
霊があった場合には、手術台で自分の体を麻酔なしにメスで切り裂かれる光景を見る事になるということです。
 そして、霊として自分は今存在していて、献体しているのだ…と認識できていればいいのですが、
 霊としての自分を見て、「おれはまだ生きている」と非常にあせり、怖がることになるであろうことです。
 そして、時には、暗示での痛みなのか、それとも手足をなくした人が感じる偽痛の仕組みなのかわかりませんが、
霊なのに、自分の体に入ったメスの痛みを感じてしまうことにもなるのかもしれないのです。

 死後、24時間ぐらいすると、体と霊がかなり分かれ、霊も自分が死んだのかなと自覚ができてきて、周囲の霊を見れるようになる 
そして、死んだはずの自分の親とか親しい人から話しを聞いて、死後どうしたらいいのかの導きを受けて出発する…のだとしたら


臓器の組織が死なないうちにと、死後すぐに臓器を切り出す事は、死後まもない霊にとって、大変なことになることがあるかもです。
大きな事故にあった以上の痛みと、
そして恐怖と、そのあとはやり場のない怒りになるのかもしれないです。
ただでさえ、死後の混乱があるところに、そういう騒動になれば、落ち着くまでにかなり要するのではないでしょうか。
 そして、怨みや怒りの念が強ければ…
天国に行くはずだった善良な魂(霊)だったのに、迷ってしまうようなことだってあるかもしれません。



臓器移植は、霊がないという前提での行為です。

はたして、霊はないのでしょうか。
見えないからと言って、霊はないのでしょうか。

ちなみに、うちのつまの母は、見える、というか感じれる人です。

それなりに、女性の中には、ただ霊感が強いだけでなく、
もう少し具体的な感覚のある人も昔も今もそれなりにいて、
無名ですが、そこかしこにふつうに生活しています。


今は、お坊さまも神父さまも牧師さまも、霊が見えない人がほとんどの時代です。
 法力がない…。
ましてや、現代人の知識人の多くが見えようはずもありません。
私も見えないし、つまも見えません。

見えないから、魂(霊)はないのでしょうか?

人に魂(霊)がもしもあるのなら、
死後すぐにはなかなか肉体の感覚が抜けないとしたなら、
臓器提供者は、死後すぐの臓器の取り出しを見てどう思うのでしょうか。
また、その痛みが偽痛であっても伝わるとするなら
どんな風に感じるのでしょうか。

という視点から、臓器移植には難しい問題があると思います。

せめて、こういう話しを事前にしておくことが必要と思います。
霊は落ち着きさえすればやがては肉体の感覚が薄れ、霊としての本来の姿に戻ります。 

 せめて、そういう話しさえしてあれば、
痛みがあったとしても、みんなのためにという敬虔な気持ちで耐えれたり、不安も恐怖も半減するのではないかと思います。



魂(霊)があるのか、ないのかという話は、
見える人からすれば、ばかばかしい話しです。
 ある。
 見える。
というだけのことです。

 見える人からすれば
「臓器提供などは、めったな覚悟ではするものではない。」
「陣痛のような激しい痛みを何日か耐える気持ちがあるのなら」
と言うでしょう。

 見える人からすれば
「絶対に、子供に臓器提供など させてはならないし、親がそれを許してはならない」
「子供は光景も痛みも理解できない。 おそろしい。」
「残酷なことをするものではない」
と きっぱり言うでしょう。

(スミマセン 長いです)

マンガを思い出すんですよ~

楳図かずおの「うばわれた心臓」を!!!
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専門は子育て&消費生活。
相談をうけたり、話をしたり、
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